Episode of Turkey
日本を離れて4日目。
イスタンブールで一番大きな劇場シェマル・レシット・レイ・ホール夜の本公演を控え、朝からリハーサルをしていました。リハーサルを終えた時、当時JAPAN WEEKの責任者であったN常務から、沈痛なおももちで、「たった今、ここから、500メートル先の寺院で爆破テロがあり、死者が出ました。今夜の公演はできるかどうか、わかりません。と告げられました。

そこでテロという暴力がふるわれ、同胞が被害を受けたのに街は静かでした。

「ーなぜ?」
と、現地の通訳をしてくれていたアルズさんに訊ねました。「もちろん、みんな憤っているし、悲しんでいます。でも、そのことで騒いだら、テロリストの狙い通りになるでしょう。私たちは、何事もなかった振りをすることで、テロに屈しない、ということを主張しているのです。」

夜の舞台公演の是非のわからない不安な状況のまま
午後、アヤソフィア寺院へここは、キリスト教とイスラム教の融合した世界でも、めずらしい寺院。お互いが価値を認め合うことで実現する世界平和への願いの象徴。ここで、トルコの人々の誇りとメッセージを、直に感じることができました。

帰りのバスで、目を真っ赤にした添乗のAさんが、泣きながら、舞台公演の中止を告げてくれました。

「また、トルコに帰ってこいよ!ってことだよ!」

と、みんなで、受け止め、その舞台公演だった時間は、テロで亡くなった方へのお祈りと、ミーティングにあてました。
颯爽がこれから、海外でやるべきことのミッションについて、語り合い、そのエネルギーを翌日、ハリュドン・アラガシ・スポーツ・コンプレックで行われた「日本の祭り」で燃焼させました。

ま、こんなことしてる間に、
YUCA-SUNGは、テロ前日のテレビ出演で痛めた足が、本格的に悪化しており、車椅子での帰国となり、
みんなを驚かせました。

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2003年11月 トルコ イスタンブール
JAPAN WEEK '03
イスタンブールの中心街、
イスティクラル通りをパレード。
通り過ぎた後もいつまでも、ついて来て
応援し続けてくれました。
親切に町をガイドしてくれた若者と、
丁寧にトルコじゅうたんの説明をして
くれたそのお兄さんに感謝を込めて
急遽、ストリート南中を踊りました。
次第に人が集まり、
踊り終わった時は
大きな拍手をおくってくれました。
ハルカル・エリケーキ養護学校へ訪問。
お留守番組のカンパで作らせてもらった
おそろいの「旗」のプレゼントから始まり
踊る交流は予定をはるかに超えて
いつまでも続きました。
総踊りでは、みんな手を取り合って
スキンシップ満載で踊りました。
何度もアンコールが起こりました。
自然とできたサークルの中で
養護学校のみんなも
お得意のブレイクダンスの
パフォーマンスを披露してくれました。
幻の舞台公演となった、
ジェマル・レシッド・レイ・ホールでの
リハーサル風景。
この間に、すぐ近くで爆破テロが起こり
夜の本番は中止となってしまいました。
ハリュドン・アラカジ・スポーツ・
コンプレックスという体育館で
行なわれた「日本の祭り」。
総踊りではたくさんの人が、
演舞スペースに下りてきてくれました。

>>>'04 ポルトガル リスボン

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